私たちの母校 弘西小、南方小のその後

96 閲覧

アップしているのは5月30日の朝日新聞の記事です。

県外にお住まいの同期生の方は、母校の弘西小、南方小のその後について、ご存じないかもしれません。
記事の岡山中央小は、岡山中央北小(弘西小、南方小)と岡山中央南小(内山下小、深柢小)が合併して平成17年に開校した小学校で、弘西小の跡地にあります。尚、弘西小と南方小が合併して岡山中央北小となったのは平成13年でした。

私たちが、弘西小、南方小を卒業したのは、57年前の昭和35年3月でした。
私が卒業したとき、弘西小は1学年337名、6クラス(1クラス平均56名)でした。弘西小全体では1,800人くらい、合併した4校全体では7,000人くらいの生徒がいたのではと推定されます。
私たちの頃は、ベビーブームの真っただ中の時期ですが、それにしても驚きの人数です。

それが、児童が急増して教室不足の対応が急務となったとされる今でも919人(昨年度)ということですから、当時の7分の1以下ということになります。

少子高齢化は、さもありなんと思わされます。

ところで、中心部の小学校統合の原因となった児童数の減少は、少子化とともに、中心部居住者の郊外住宅地でのマイホーム取得にありました。

近年、中心部の人口が増加している背景には、住宅地需要が都心回帰に向かっている傾向が影響しています。
定年を迎えた団塊の世代が、老後を考えて買い物、医療、文化施設、公共施設等への利便性を求めて、都心に戻ってくる動きがあります。
若い世代も郊外の住環境よりも利便施設への接近性を優先した選択をする人が増えています。
それら需要の受け皿となって販売が好調なのが中心部のマンションです。

この記事に書かれているような、児童数の増加は、こうした社会の変化が背景にあります。

合併当時、4校を2校にするのは良いにしても、4校を1校にまでするのはどうなのかなと思った記憶がありますが、今日のような事態は想定できなかったのでしょう。

記事を読んでの雑感です。

山下 信一郎

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です